2. 駅の待合室で旅をする
- yonago nagiri
- 5月14日
- 読了時間: 3分
更新日:3 日前

学生時代、短期留学でわたしは初めてフランスへ行った。
スイスの国境近く、シャンベリーという小さな町の語学学校に通っていた。
休日にリヨンへ行ってみたら、ローヌ川とソーヌ川に挟まれた町のなかに、古い街と新しい街、国籍や宗教、文化、観光客も学生も、いろんなものが混ざっていて、とても心地よかった。
その翌週、パリで一番に向かったのはポンピドゥーセンター。建物の前では、お弁当を食べる人、スケッチをする人、マッサージなどの商いをしてる人、音を鳴らす人、踊ってる人。中に入れば、展示を観てる人、本を読んでる人。子どもも大人も、みんなそれぞれに時間を過ごしてて、なんとも自由で、なんとも自然。ハムスターの家みたいな建築と、その周辺の空気に、痺れて、痺れ過ぎて、クラっときた。「こんなところで仕事がしたいなあ」なんて思いながら、帰国。
その後、就活はせずに卒業。働いていたカフェでアルバイトを続け、再び渡仏。リヨンに暮らしながら、いろんな場所に行って、いろんなひと・ことに出会って、影響されたり、されなかったりした。
帰国してからは、フランスもいいけど大分もやっぱりいいなと思いながら、県内をうろうろ。そんな中、学生時代インターンでお世話になったBEPPU PROJECTの方にばったり再会し、「in BEPPUっていうのが始まって、スタッフ探してるよ」と教えてもらい、そのまま《目 in BEPPU》のお手伝いをしながら、ハローワークに通い、地元・豊後大野(大分県)の市民文化センターで働くことに。この場所で過ごした数年間が、とにかく濃かった。あぁ、わたしにとってのポンピドゥーセンターは、案外近くにあったんだと思いながらも、次第に「ハコモノ」から飛び出したい気持ちが沸きあがり、公園みたいな場所で働きたいな、またフランスに行ってみようかな、なんて考えているときに、二宮圭一さんから電話がかかってきた。
「由布院駅にアートホールって場所があって、半年でも一年でもいてみたら?」
それから、あれよあれよと2年。その後、束の間の大阪暮らしを経て、また由布院に戻ってきた。戻ってきた理由はアートホールではなかったけど、なんのご縁か、今日もわたしは待合室にいる。
わたしはずっと「アート」に興味があるというより、いろんな人の日常 / 非日常を覗くことに関心があるんだと思う。そこにアートがあったりなかったりする、くらいの待合室の余白がいい。ここで起きるできごとや訪れる人たちを定点観測するたのしさ。列車の発着によって変わっていく景色。ひとつの空間で、予測不能なことが次々起こる感じは、まるで映画のよう。混沌としているのに、折り合っている。旅行客や展示をみにきた人たちを迎える「フリ」をしながら、旅をしているのは実はこちらの方なのだ。
最近は、「だれかと時間や空間をつくる」や「そこにいる」ことを藝術新社 漂泊の活動ってことにすればいいのか、うんうん。と考えていたところと言うことで、ここ10年のことをまとめてみました。